引く手あまた、といったところだろう。日本相撲協会はこのほど、来年6月11~13日にバンコク公演を開くと発表した。海外公演は昨年のロンドン、6月のパリに続いて3年連続の開催となる。

日本とタイが来年に修好140周年を迎えることを記念して実施されるもので、八角理事長(元横綱北勝海)が今月中旬、バンコクのタイ外務省を訪問。タイのシーハサック副首相兼外相や大鷹正人駐タイ大使らが参加した催しで「日本古来の伝統文化である大相撲の魅力を、タイのみなさまに存分に楽しんでもらえるよう万全に取り組む。土俵での力士の当たり合いをみてほしい」と述べた。

大相撲の公演は協会が外国からの招待を受けて行われ、協会関係者によると、海外からの興行要請は来年以降「十指に余るくらい」とし、米国やオセアニア地区などからも希望する声があるという。アジアでの海外興行は平成25年のジャカルタ巡業以来、公演は16年の中国公演以来。タイでの海外興行は初めてだ。

かつて、タイで名をはせた日本人がいる。安土桃山時代の天正18年ごろに駿府(現静岡市)に生まれたとされ、江戸時代初期にシャム(現在のタイ)へ渡り、タイの歴史上最大の王朝の首都アユタヤで日本人町の頭領を務めた山田長政だ。

貿易商人として頭角を現し、ソングタム国王の日本人義勇軍を指揮。護衛兵としても活躍し、シャムの内戦や隣国との紛争を鎮圧したと伝わる。とくに、スペイン艦隊による2度のアユタヤ侵攻を退けた功績で信任を受け、アユタヤを拠点とする貿易を一手に引き受けるほど重用された。

史料に乏しく謎の多い人物といわれ、出身地すら諸説あって確定されていない。伊勢山田や尾張、長崎説などがあるが、書物などでは駿河説が最も史述が多い。江戸幕府初期に活躍した金地院崇伝(こんちいんすうでん)が幕府の外交実務を著した「異国日記」には「山田仁左衛門」の名で登場する。

アユタヤ郊外の日本人町は最盛期には多くの邦人が在住。その数は3000人ともいわれている。長政は宗教に対しても寛容で日本人町にキリシタン教会の設立を許し、交流。元和7年にはシャム国使節を来日させ、徳川2代将軍秀忠と江戸城での謁見も実現。日本とシャムの親善に尽力した。

時代はくだり、そんな長政を顕彰しようと、大相撲の興行を打った先人がいた。明治25年、「山田仁左衛門記念大相撲」が駿府城本丸跡地で開かれた。勧進元は駿河国出身の有名な侠客(きょうかく)、清水次郎長こと山本長五郎。この興行は山田長政の記念碑(銅像)を建立するための資金づくりが目的とされ、当時の番付の枠外上部には「山田長政記念大相撲」と大きく記され、番付の最下段には現在の勧進元に当たる願人として「次郎長事山本長五郎」とある。

次郎長がなぜ長政の顕彰を思い立ったのか定かではないが、同郷の偉人を奉るため東京へ出向き、初代高砂浦五郎と雷権太夫の取締と掛け合い、東京相撲の招へいを取りまとめた。山田仁左衛門記念大相撲は、7月20日から晴天7日で実施とされたが、20日に始まった興行が8月6日の時点でまだ終わっていなかったことを示す備忘録が残り、雨にたたられたことがうかがえる。

大相撲一行の滞在費だけでも相当額にのぼり、この興行では十分な収益を得ることがかなわず、次郎長は負債を背負い、結局、記念碑の建立はならなかった。

点から線へ。タイでの大相撲初公演の発表から長政、次郎長へとつながり、再び大相撲が絡む歴史の糸が、時間をかけて「逸話」となっていく。(奥村展也)