ジグソーパズルという遊具がある。一枚の絵や写真を細かいピースに分割し、それらを組み合わせて原形を復元するパズルだ。江戸中期にあたる1760年代、英国の地図職人が木製の地図を糸鋸(ジグソー)で切断してつくったものがはじまりとされる。玩具メーカーに長く勤務している友人によれば、一般的に1000ピースを超えると上級者向けといえるそうで、2000ピース超にもなると完成させたときの充足感は想像を超えると笑う。
大相撲九州場所(8日初日、福岡国際センター)で、沖縄県出身初の三役力士が誕生した。同・うるま市生まれの美ノ海が初めて三役に昇進。新小結となった。これまで同県出身で十両以上の関取は8人いるが、沖縄は47都道府県で唯一、三役力士を輩出していなかった。
さらに、33歳5カ月での新三役は戦後4番目の年長記録で、初土俵から所要63場所は学生相撲出身では史上最も遅い。〝最後の一片〟を埋めた美ノ海は「沖縄の文化のなかに相撲はまだ根づいていないと思う。相撲をやりたいという子が増えてくれたら、それが一番の励みになる。そのきっかけになればいい」と普及への願いを込める。
沖縄県出身初の幕内力士は、本土復帰2年前の昭和45年九州場所で新入幕を果たした琉王。最高位は西前頭筆頭だった。米国統治下にあった当時、たとえ日本国民であっても沖縄への往来にはパスポートが必要で、同場所で実現した米ハワイ出身の当時平幕高見山との取組は「外国人対決」といわれた時代。まさに隔世の感がある。
沖縄出身2人目の幕内力士で西前頭3枚目が最高位だった元琴椿(現白玉親方、65)は「新三役は沖縄の悲願だった。一人が殻を破れば、地元も盛り上がる。関心も高まり、続く者がきっと出てくる」と熱を込めた。
沖縄が本土復帰した47年5月15日は、夏場所2日目だった。平幕琉王は東京・蔵前国技館(当時)での幕内土俵入りで「沖縄県出身」と初めて県名とともにアナウンスされ、館内は大きな拍手に包まれた。のちの手記のなかで「初めて沖縄県と呼ばれたときは、土俵に上がった瞬間、全身に沖縄県民が応援してくれて血の気が高ぶったのをいまでも思い出します」と述懐した。美ノ海もきっと同じような心境に包まれるに違いない。